8月になった(なってた)。

ちょっと前から冷たいものを飲み食いすると、前歯がキン!と痛むようになって、私のQOLが低下している。
痛みは徐々に強くなり、飲み物はストローで前歯に当たらないようにしないと飲めないし、食べ物はポテサラすら食べられなくなってしまった。
冷蔵庫に入れておいたものをいちいち常温に戻してから食べるなんて……そんなに待ってられない。
普段口にしているおおよそ8割が冷たいものだと気が付いたのは最近のことだ。
ポテサラが食べれないのは自分的にさすがに辛すぎて、平日の仕事を終えて近所の歯医者に飛び込んだ。
一応前日に予約を入れておいたのだ。
待合室は6帖もないくらいにこじんまりとしており、患者さんは私のほかに1人だけ。
受付の女性はニコリともしないが、声が優しいからほっとした。声色、って大事だな。
渡された問診票にせっせと症状を書き込む。
「どのようにして当院を知りましたか?」
最後の問いにちょっと迷って「建物、外観を見て」にマルをつけた。
正確には外に出してあったブラックボードを見たのがきっかけなんだが。
実はここにしようと決めたきっかけは、近場であるからという理由だけではない。
どっちかというと、道路沿いに置いてあったブラックボードの掲示物を見ていたからだ。
通勤途中で見かけるそのボードには、蛍光色のポスカでいろいろ細かに書き込んである。
口臭とか、歯石とってますか?とか、生活習慣病との関連とか。
通りすがりの一瞬で読むのはほぼほぼ不可能だが、内容云々よりその更新の頻度の高さに好感を持てた。
あぁいうのって案外めんどくさい。
昔、不動産会社で事務をしていた頃にあんな掲示物の管理をしていたけど、まともに更新できていなかった記憶がある。
これ最後に作ったのもう1か月前じゃん!!なんてことはザラにあった。
とくに私みたいなズボラ気質には向かない仕事、それが掲示物の管理なのだ。(ちゃんとやれよ)
そんなめんどいはずの掲示物は、「あれ?また変わってる」と思うくらいマメに管理してある。
こんなマメにやれる人がいるなら間違いない。丁寧な仕事をする人がいるんだ、と思って予約を入れた次第だ。
お願いしまーす、と言って後方に座った先生。
めちゃくちゃ真面目で物静かそうな顔をしている中年男性だった。
ていうか看板の似顔絵イラスト、めちゃ似てんな。
イラストが先か、先生が先かわからんくらい。
「歯医者って何年ぶりですか」
まだ寝そべって口を開ける前やんか。
私が年単位で歯医者に行っていないことがすでにバレているのはなんでだろう。
「4、5年ぶりくらいですかねぇ」
「ちなみにその時はなんで歯医者行ったんですか」
「なんか上の親知らずが虫歯になってるっぽくて、抜歯してもらおうと受診したんですけど…」
「抜歯しました?」
「なんかそのままでいいって言われて、そのままです」
「虫歯を?」
「はい」
「そのままでいい?」
「はい」
「なんで?」
「症状がないから?」
先生と顔を見合わせて同時に苦笑する。
変な沈黙がフロアに流れた。
ちょっと見せて下さいね、と先生が切り出して、ようやくここで椅子が倒される。
ちょこちょこ針金のようなもので触りながら歯全体をチェックしていく。
「あの、これね。プラークですね」
器具でぬぐい取られた歯垢を見せられた。
「ウエー」
「あと歯石もついてます。歯石は3か月でついちゃうので、定期的に取りにきたほうがいいですよ」
「はあい」
そのあとはあれよあれよという間にレントゲンを撮られて、再び席に戻された。
先生がまたナナメ後方に腰かけて、言いにくそうに話しかけてきた。
「あのー…ですね、まず上の親知らずは虫歯になってますね」
はい、そりゃなってます。
かれこれ4年前から。
「まあ…前は前の状況があったんでしょうけど…とりあえず抜歯したほうがいいです」
先生は私が以前受診した歯科を真っ向否定しなかった。
優しい。
たぶん、そこの歯医者大丈夫か?とでも言いたいのだろうけど。
私なら言いたい。
「親知らずの隣の奥歯が結構大事な歯なんですよね…。なのでそこが虫歯になると大変なんです」
「はあ」
「そもそも親知らずの場所的に、きちんと歯磨きするのは不可能ですね」
「ですよね」
「ちなみに下の親知らずは抜きましたよね?」
「あ、はい。両方ともこどもの時に」
「じゃあ上の親知らずは受け皿もないので、あんまり意味を成してません」
「あ、そっか」
私の上の親知らずは、20年以上相方不在のもと宙ぶらりんだったのか。
かわいそうに。
「ちなみに、虫歯になってたのはご自身で見えてたんですか?」
「あー鏡で見えましたよ。黒っぽいかもーって」
「……」
再び訪れる苦笑。
先生、わかりますよ。言わんとせんことは。
上の親知らずの抜歯は下に比べそこまで痛くもなく、空く穴も小さいらしい。
抜歯という言葉に顔をしかめた私に、先生は何度もそれを熱弁した。
とにかく抜歯してほしいようだ。
まあ虫歯だしな。相方不在じゃ仕方なし。
この先生を信じることにした。
ちなみに前歯の痛みは虫歯ではなく知覚過敏とのことで、しばらく薬を数回塗って様子みることに。
歯石とり&虫歯治療→親知らず抜歯×2 の段取りで、しばらく歯科通いすることになった。
そうして今日、2回目の受診日がやってきた。
席に案内されると、椅子の脇に設置されたモニターにデカデカと私のレントゲン写真が写し出されていた。
新手のウェルカムボードみたいだな。
歯科助手さんに歯石をとってもらい、先生にチェンジ。
虫歯の治療だ。
場所が上の奥、というせいか、カタン、と椅子のヘッドをさらに低くして結構な後屈姿勢になった。
これ、高齢者とかだいぶキツイ姿勢だろうな。
はじめに右上奥歯に打っておいた局所麻酔が効いてきている。
「今日は虫歯治療ですからね。抜歯はまだしませんから」
先生―私、抜歯に対してそんなビビッてないからそんなに言わなくて大丈夫だよ。
歯の表面を軽く削っていく。
先生はなんか陶芸家みたいに手の向きとか変えたり、身体ごと少しずつ移動しながら小さな歯を削っていく。
先生の腹か胸かが私の頭にあたっている。
先生が身体を移動させるたびに、付けていた髪留めが引っ掛かって髪の毛ごと引っ張られていく。
しまった…!!コレをつけてくるなんて…!
邪魔すぎる。先生ごめんね…。
そんで地味に痛い。(自業自得)

このトサカをサッととってしまおうかと思ったが、こういう作業をしている時に身体は動かさないほうがいいし、手を動かそうもんなら「痛いサイン」と思われてしまう。
でもあまりにもグイ―――――ンと引っ張られていくので、歯を削られながら笑い出しそうになった。
トサカは歯医者につけてくるものではない。
歯を削られたあとは、すごい力でぎゅうううううと詰め物をされた。
詰め物を固めてそこで治療は終了。
「次は上の歯石取りと虫歯治療の続きですね」
はあい、と返事とうがいをして、椅子から降りると先生の姿はもうそこになかった。
次の予約を入れてすごすごと歯科を後にする。
綿かなんか右上に詰められてんのかな、と思い舌で触ると自分の肉厚な頬しか触れなかった。
麻酔が効くとなぜか頬が膨らんで感じるのは私だけか。